ワつk

March 3132006

 デッサンのはじめの斜線木の芽張る

                           うまきいつこ

語は「木の芽」で春。絵心のある人でないと、なかなかこうは詠めないだろう。スケッチブックに柔らかい鉛筆で、すっと「はじめの斜線」を引く。木の枝だ。すると、それだけで写生の対象となった眼前の木の芽が、きりりと己を張ったように見えてきたというのである。物をよく見るというのはこういうことであって、それと意識して斜線を引いたおかげで、対象物が細部にいたるまで生き生きと見えてきたのである。いささか教訓めくが、俳句など他の表現においても事は同じで、対象物をよく見て書き、書くことでいっそう対象が鮮やかな姿をあらわす。写生が大事。そうよく言われるのは、この意味からである。ところで、専門家であるなしを問わず、絵をどこから描きはじめるかは興味深い問題だ。掲句は斜線からはじめているわけだが、同じ情景を描くにしても、手のつけどころは人様々のようである。中心となる物からはじめたり、逆に周辺から固めていったりと、描き手によってそれぞれに違う。典型的なのは幼児の場合で、人物を描くときに足のほうからはじめていって、頭をちゃんと描くスペースがなくなり、ちょんぎれてしまうケースは多い。でも、そんな絵に彼らが違和感を覚えないようなのは、やはり彼らの目の位置が低いせいだろう。日常的にも、幼児は大人の頭をさして意識していないのではなかろうか。大人は絵の構図を企むので、簡単には分析できそうもないけれど、私のように下手でも描いてみると、「はじめ」が意外に難しいことがわかる。『帆を張れり』(2006)所収。(清水哲男)




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